社交

ざんねんな人間図鑑

BirthdayEvening

ブログを始めてから一年が経っていました。わたしはそこそこぼちぼち、近ごろは割と穏やかかもしれんです。生活は健康でも文化的でもなく、なんとか最低限度ぐらいまではやらねばと思いながら結局くたびれてコタツで寝る日々。暖かくなると眠くなりますね。みなさんはどうですか。
一年前ブログを始めたときは、例の侵略者がこの国にやってきたばかりの頃で、今はもうとっくに忘れた距離感と温度が当たり前だった。顔を隠していることが正当化されるようになってマスク依存とマスク皮膚炎を併発し、ぷちぷちと出来物を潰しては血とも皮脂ともつかぬよく分からない細胞をティッシュで拭って投げ捨てた。たぶんわたしは人よりも、自分自身と喧嘩しやすい質なのだとおもう。目についたそれが自分の細胞であれば何もかもが気持ちが悪い。先程の自分と今の自分、そして今から10秒後の自分は違う生物。あのときのあの自分は特に嫌い、オドオドしていて反吐が出るだの、あのときのあの自分の方が嫌い、みんなを盛り上げようとして体よくにこにこしちゃって、だの。わたしは本来どういう性格なのだろう。最低限度の生活をこなすために、この余分な性格で社会性を補う。まるで別の人間になったかのように。母親から離れられない3歳の子どもは、10余年経てど変わらない。たぶん面倒くさいのだ、にこにこするのも、にこにこしないのも。全部本気じゃないみたいだ。自分は好きなことをしているときだけ『自分』になったように感じるから、好きなことをずーっとしていたい。細胞は数年で全て入れ替わる。わたしは一日ずつ、一秒ずつ、別のいきものになる。そして数年後にはじめて出会う人は、何代目かの『わたし』しか知らないでいてくれるのだろう。
わたしの推しが明日30歳になる。推しはわたしの脊椎だ。なければ生きていられない。緊張してきた。おめでたいので、普通に寝ようと思う。