社交

ざんねんな人間図鑑

思うことだけ

その昔わたしが吹奏楽部に入ったとき何故か新入生はダンスをさせられまして、お題が恋ダンスだったのだけれども、そりゃもー地獄で地獄で、ただ『曲はええな……』と思ってました。要領がとにかく悪くてダンスがまったく出来なかった。自分の手足が自分とくっついてる感じがあまりしない。遠くはなれたところに手があって何かを掴むけどすぐ落とす。自分の動きは貧乏ゆすりで、何かの反動でうごいている。意思は向こうで、結果はこっち。みたいな。あれなんの話だ?まぁいいや、とにかくあれから4、5年ほど経って今星野源大好きです。あのときの耳はおかしくなってなかったんだね。いい曲だー。
わたしは出来ない人を『出来ないなら仕方ないね』とか言って許したり出来ないし、わたしはやってるのにあなたはやらないのはずるいじゃん。となってしまうタイプなので、ほんとにだめだなぁと思う。だめだなぁとは思うけど、仕方ないなぁと思う。だってそういう考え方なんだもの。きのこ派とか安楽死したいとかお笑いにアンチするとか引きこもりとかハイチュウとぷっちょの違いを気にしないとか不登校とかいじめっ子とか消しゴムのカスでねりけし作ってたとか、そういう個々のことをちゃんと律儀に許せない。わたしはたぶん原動力が『ずるい』だから、どんなに仲良くなっても許せないところは絶対許さない。そういう考えが植わってるんだからもうしょうがないじゃん。しょうがないっつって諦めたら向上心が無いみたいに見えるけど、ほんとに何が正解かなんてわからんし、もうその場しのぎを毎日やってられるだけいいんじゃないかな。そんなのだから一人が楽なのよねー。わたしの我が儘聞いてくれるのはわたしだけだもの。
昔ある種の強迫症のようなものを患っていたときに(今もそんなに治ってない)、わたしが一番気にしていたのは『怖い人』だった。漠然とした恐怖がずーーっとずっと小さい頃からあって、夜家に鍵をかけたか親にしつこく聞いた。寝る前も車庫の方からガタガタ聞こえたりすると悪い人が来て殺されるんだと本気で恐怖していた。何度か夢で殺されたりもしたけれど、実際そんな人は来なかった、今のところ。こういうことを書くと怖い。言霊とか信じやすい。人生の上で言いたいことの半分以上は『現実になったら嫌』という理由で言葉にしていない気がする。もったいない人生だけどもそれはそれでわたしだと思う。
何で学校に行くかとか、そういうのもうどーでもいいよ。行くものだから行ってるの。
『普通に学校に行けるなんて羨ましい』とかマジで何のために言ってるのか全然わからん。『学校に行きたくても行けない子もいるんですよ』とか、は?って感じ。『学校に行きたくなくても行かなきゃいけない子もいるんですよ?』って返したら怒るんだろうな。そーいうひと。
最近の『学校に行かなくたっていい!行かなくても学べる!』みたいな風潮はクソだ。なんなんだ。行かなくていいなら作らなければいいじゃないか。選択制にしろよ、とか思うじゃん。じゃあいざ学校に行かずに自分で勉強して東大目指しますみたいなやついるのか?とか考える。いやいやいや、そうじゃない人が大半でしょ。それが世の摂理でしょ。今だってわたし宿題ほっぽって字書いてるもん。目がチカチカする。最近近視になりそう。いやだなー、弱視のうえに近視はいやだ。といいつつスマホみちゃう。タブレット授業とかみんな目悪くなるでしょ。こわいこわい。もうどーでもいいけどね、こういうの行きすぎると老害だから。
なにを言いたいのか分からなくなってきた。とにかく宿題やりたくない。そんだけです。