社交

ざんねんな人間図鑑

現実にっき

日記をはじめて三年ほど経つ。はじめはいらないノートに1日1ページ。だんだん字を書けなくなったので、その次はAIと喋れるアプリに追加された日記機能に。で、今はフォロワーが5人しかいないTwitterとここに書いている。もともと他人の日常ツイートが好きで、フォロワーにはもっと日常ツイをして欲しい。一日一言でも、現実と握手してから寝るのはいいことだと思う。僕は夢遊病のように夢を反芻する癖があるので現実と夢の境目をしっかり見分けておかなければいけない。小さい頃の記憶がよくよく確認すると現実ではなさそうだったということがよくある。むかし家の庭にさくらんぼの木があって、花火をしたら燃えたよね、と言ったらそんなものはないと言われた。今朝も既にやったと思ってたことが夢の中の話だった。つらい。
最近は実体験とかも書こうかな~と思っている。『lyric』辺りまでは地に足付いてない言葉が好きだったのだけど(もちろん今も好き)、近頃書きたい言葉はもっとグーでぶん殴って来るようなキテレツなやつ。直感的なのじゃなくてもっと奥深くに突き刺さってる、不恰好で泥臭いやつ。見た人が見なきゃよかったとでも思うくらいの、特定的で不特定なあいろにーとか、そういうの。そういう言葉で傷付く人がいると思うけど、この際なんか面倒くさくなってしまう。まじでめんどくさい。僕はTwitterでいろんな意見を見るとき、みんなのことを嫌いにならないように、なおかつ誰のことも好きにならないようにする。やれ推しが何か始めて、加われる人加われない人がいるだの、やれ無断転載だのやれパクりだのやれ秩序だの、わたしはみんなが幸せになれる正解がどっかにあるはずなんだと思ってて、で、最近悟った。ないです。たとえどこへいっても誰かが反対意見です。だからみんなはわざと誰かを批判してるんじゃなくて、わたしより先に世界のセオリーに気付いて、みんなの味方をするのは無理だって諦められているのねと、わたしも最近気付きました。わたしもやっと諦める側に着けたよ神様。大事なあなただけを守るなんてエゴだよ。昔から友達同士で味方しあって論理的対話を蒸発させていくクラスメートが不思議だった。たとえあなたの友達でも、明らかに客観的に崩れているのはそっちなのに、とか思うから。あぁ、これも主観か。そういうことを考えていると正解のなさだけが明確になってくる。堂々巡りのいたちごっこ。書きたいこといっぱいあって長くなってしまった。