社交

ざんねんな人間図鑑

鬼のお面

節分ほど普段からまったく意識しない年中行事ってあったかしらなどと思う。年末年始のそわそわみたいなのもなく、どう森のイベントが盛り上がるわけでもなく、お菓子が食べられても特別なものじゃないから。何かいわしとか吊るすんでしたっけ?小学校のときとかはちゃんと分かってたのになぁ。
わたしがまだ何にも分かってない保育園児だったころ、節分で鬼が怖くてわんわん泣いていた。その頃の鬼がどれだけリアルだったか覚えてないけど、わたしには鬼にしか見えなくて、本当の鬼だと思ってた。中に先生が入ってる本物の鬼。矛盾している。豆を投げもせず泣いていたけれども、いつの間にか節分はお菓子をばらまく日になった。いいことだ。おいしいことはいいことだ。ぼくは人においしいものをあげられる人になりたい。つぎがあったなら鬼になんてなりませんように。人に生まれてきたいなんて言わないから、怒られないものになりたい。
悔しい思いをして、苦しい思いをして、それをばねにして誰かを助けようと思える人はすごい。大抵の人は何もかもが悔しくて妬ましくて大嫌いになって、怒りとかやるせなさで何にも出来なくなっちゃうんじゃないかな。『同じ思いをしている人の力になりたい』なんて言えないよ。わたしは弱虫だから。教室に入ったとたんに喋れない。おばあちゃんの家で親戚が集まると言葉が喉の奥で詰まっちゃう。喋るタイミングがつかめない。というかそもそも喋っていいのかも分からない。これはただのわたしの不得意だから我が儘は言えないけれど。
僕はなるべく怒られたくないから、Twitterとか見てて誰かが怒ってると僕のせいだと思っちゃう。他人の憎しみは怖い。羨みが生まれ出てくるのは仕方ないけれど、その羨ましさはどこへ行くのだろう。羨むだけ努力を積み重ねられているのかな。羨ましがるだけで努力をしなくちゃ変わらない。と、自戒する。わたしも良くやるよ。羨むだけ羨んでなにもしないの。
誰も読まないただの日記の覚え書き。