社交

ざんねんな人間図鑑

濁った水で魚の姿をしている。

自粛自粛と言われ続けて早数か月、何だかんだおうち時間とか言って人間は案外適応しながら生きていくのであって。それが何だか野性的なような、本能的なような、生物としての生き方なのかなあと生物学者でもないのに思っています。元からインドアな人間は水を得た魚のようでいるんだな。僕のことですけど。

なんか左腕の調子が悪い。このご時世ちょっと調子が悪いだけでもものすごく怖いです。もともとある心気妄想が悪化するというか、心持ち的にもよろしくない。前にも似たような痛みとかむず痒さを体験したかもしれないのに、ちっぽけな脳みそはそんなことも思い出せずおろおろ怖がって、どうしようどうしようと検索窓に語彙力のかけらもない症状の説明を打ち込む。「喉 くすぐったい」と入力したら、予測変換に「喉 くすぐったい コロナ」と出てきた。検索した先にそれらしき情報はなく、みんな怖いんだな、と何となく他の人間と共通認識を持ったような気がして妙な安堵をする。

やっぱ怖いじゃないすか。今の世間。なるたけ強く、何の陰りもなく生きたいし。妥協だってしたくないし、上へ上へ生きたい。こんなところで諦めて終わりにしたくないじゃないですか。三年前の僕が見ていた世界とはもう違って、あの頃よりマシに生きられてる気がするんです。僕だけが赦されない気でいたあの時の僕のために、まだ生きてなくちゃいけないんです。この状況下でうまくいかないことを嘆いてわめいてるわけにもいかない。「おはよう」の代わりが「死にたい。」だった僕のために。こんにちはお元気ですか?三年後の君は元気です。人間として生きるのには向いていないけれど、何とか躓きながら生きているよ。前を向こうと促すリモートになってしまったテレビ番組を眺めながら、喉のくすぐったさはまだ収まらない。