社交

ざんねんな人間図鑑

嵐翠

はてなブログのログイン方法を忘れた。たぶん次更新しようとしたときも忘れるだろう。これが最後のブログかもしれない。新しいブログを作るか。noteもやってるけど、あれはなんか陽の気配がする。ブログをやる意味なんてないのかも。別に誰も見てないしな。

・学校が森すぎる。食事中に虫が羽音を立てて過ぎ去るのが嫌で、どうにかならんかと思う。

・大学生全てを呪いながら生きている。そも人間が好きじゃないのだ。この間インターネットで喧嘩してる人を見て、うわーって思った。なんかそういうことやっちゃうんだリアルタイムで、とか、冷めていた。でも狭いコミュニティだしこれからもあの人たちとすれ違うんだろうな。正直誰が喋ってたのか覚えてないから、すれ違っても気付かないだろうけど。人が話してること、呟いてること、好きなもの、嫌いなもの、どうでもよすぎる。他人にも自我があるとかヤバくない?他人にも自我があって、それでいて私の意思を阻害するのもっとヤバくない?だから私は平気で人を傷付けるための言葉を使ったりします。

・病院にあまり行ったことがない。予防接種か感染症ぐらい。健康体だと思う。私は酷い偏食と少食持ちだし運動も下手くそでほとんどしないが、特筆すべき病気も、捻挫もしたことがない。こういうの考えると、健康のために嫌いなもん食べてるの勿体ね~とか思って見ちゃう。もちろんダイエットも無経験。平均体重より低けりゃいいと思ってます。

・メッセージアプリ、溜め込むよね。読んだ上で溜める。

・将来の夢無さすぎる。文豪ぐらいしかない。この年になって無理な夢しか思い浮かばないとキツい。

・好きなキャラがアニメに出た。声はびっくりするくらい解釈違いだったはずなのに、何故か普通に最後まで見た。これが大人になるということだろうか。台詞で解釈の幅が増えて良かった。

・ライブに行くの、なんか緊張してきたな。『愛してるー!』みたいなこと言う人がいたら、私はどんな感情になるんだろう。私が持ち得ない感情を誰かに向けている人を見ると悲しくなる。
アスリートやらアーティストやら芸人やら、アイドルではない人間のアイドル視が進んでいる気がする。ファンのかたちがすべからくアイドルファンに寄っているのではなかろうか。(現に『アイドル実況者』なんて言葉もある)アイドルファンが悪い訳はないけど、黄色い歓声をあげうちわを振りグッズに万冊を叩きつけることだけが応援だろうか。彼らはそう見られるためにこの活動をしているのか。

・絵の勉強をしようと思って本とかを買っている。ほんとは絵の大学に行きたかった。才能がなくてさっさと諦めた。今の大学を志望したのは秋ごろだ。心底終わっている人間だと思う。受験当日にミニオンの映画とか見てた。ミニオンズ、プリクラ撮る系女子が好きなイメージあったけど実際に見てみたら結構面白いですね。

・日記アプリを始めて二年が経って、昨日突然すべての日記が焼失し『ようこそ!』の文字が表示された。漫画とかで冷や汗がドッて出るやつ、あれってこういうことか~。結果再ログインしたら直ったんだけど、あまりに突然だったからやめてよ~と思った。賃貸なのであまり騒ぎたくないのだ。

・ずいぶん大人になったと思う。昔の日記はかなり恥ずかしい。だから本当に、別のブログとかに引っ越していいのかもしれない。まだわかんないけど、そうだとしたら、昔の私とはここでお別れだ。あの日人間全てを恨み、憎み、呪い、死の縁に立った私よ。さよなら私の苦しみ。さよなら私の生き地獄。私はあたらしい地獄で待っている。

お月様週間、に失恋。

さよなら、わたしのすてきなおんなのこ。

遠い昔わたしを好きで居てくれた画面の向こうのあの子はきっと、きっともうわたしを好きじゃない。わたしの後ろをついてまわってなんかくれない、わたしはあなたの手足を動かす理由じゃなくなった。
わたしのことを嫌いになった方が、きっと幸せだったろう。
まだ汚い醜いわたしでいます。あなたはどうですか? いつかのあの日より世界はひかっていますか? そうだとうれしいな。


わたしは恋をして、5日日で失恋した。
サヨリちゃんというひとりの女の子の死をもって、わたしは画面をそっと閉じて。冷たい指先を動かしてみて、わたしは生きている。こうやって血が行き交っている。サヨリちゃんのことをなにも知らないのに、サヨリちゃんは死んでしまった。文化祭のその日、首を吊ったサヨリちゃんが画面にあらわれて。サヨリちゃんは死んだんだ。彼は感情を吐き出して、まっくらになって、それで終わったけれど、わたしのなかのサヨリちゃんがえへへと笑って消えない。わたしのあたまからでていけ、と一心に書かれた詞を、たぶんわたしが本当に目の前にしたら。手が震えて泣きじゃくってしまうだろう。サヨリちゃんのあたまのなかを彼がいっぱいいっぱいにしてしまったのだろうか。彼とわたしは間違ったのだろうか。あの時なにも言わなければ、別のことを言っていたら違っただろうかと思ったけど、たぶんきっと、何と言ったとしても、何をしたとしても、サヨリちゃんはあの日死んだのだろう。わたしの大好きなおんなのこ。サヨリちゃんが好きだったのは画面の中の彼だったろうけど、それでもわたしはずっとサヨリちゃんが大好きだった。えへへと笑うのも、チャーミングな赤いリボンも、あなたの書く詞も。だからどんなかたちでもサヨリちゃん、あなたのいた世界を見届けるから。今は弱いわたしを許してほしいの。きっと絶対に、サヨリちゃんの暮らしたその世界のすすむところを見に行く。わたしの大好きなおんなのこ。

ずっとずっと、自分のための言葉を書いている。

キスをしたいって思わない。

ままならない自分と一緒に生きている。
わたしは多分きっとなにかしらの精神病なのだと思ったりするけれども、それで良いと思っている。ただなまえをつけてほしい。分かればそれで良い。わかることができないのが悲しい。
美術の授業で、次の単元は学校のなかの思い出の場所を描くといわれて、わたしはほんの一時、あのプールサイドに立とうか迷った。それでやめた。あの日死のうと思ったのはパフォーマンスだったかもしれない。わたしの死がなんかを変えると思ってた。後悔に濡れたあいつが死んだら良いと思ってた。
願わくばぼくを嫌わないでくれと誰かがいう。
わたしにあるのはタナトフォビアと抜毛症とちょっとしたどもりと認知の歪みと強迫観念くらいで、日常生活はめちゃくちゃ疲れるっていう代償を払って送れている。スマホを弄り後悔し、今日が二度と帰ってこないことをひとしきり泣いて寝る。
ゲームと音楽と絵とカップラーメンとお笑い芸人とWebメディアが好きで、体育とオクラと頭痛が嫌いなただのにんげん。
回転してみんなバターになれればいいのにね。生まれたときしっぱいしたからあたしはバターになれない。わたしは別に生まれたくなかった。わたしがうまれなくてお母さんとお父さんとお兄ちゃんが仲良しで代わりに可愛い弟とかがうまれてずっと仲良い家族がいっこふえたらわたしのいのちだってうまれなくてよかった。生まれてしまったから死にたくなくなった。産声をあげたときに背中に火をつけられて、いつか蹴飛ばしたあのボムへいみたいに走ってる。
五月蝿いね。あたまのなか。わけてあげたい。しにたいだけのあなたに。しにたいと言うことだけ得意なあなたに。
いろいろあったけど、当落を一緒に喜んでくれる友達がたくさん出来て良かったと思う。うれしい。うれしいうれしいうれしい!うれしいことだけ続いてほしい。

末項Xの黄昏

終わり良ければすべて良しなんてことが、あったらいいのになあ……

いつか酷い気分で死を思い浮かべたあなたに一筋の光が差して、泣き腫らした顔に笑顔を浮かべる。悪い思い出を捨て去って、しあわせになれるような気がしているあなた。
自分の不幸への裏切り。
いつも幸せでいてはいけない気がしていて、悲しいのがデフォルトで、いつも悲しくなくっちゃいけなくて、右も左も前も後ろも真っ暗な感情で塗りつぶされたあなた。
自分の不幸への裏切り。

わたしとわたしが手を繋ぐ。不幸せなわたし、笑うわたし、なんでもないわたし。

最後の最後のその時が、面白くない思い出だったら、あんなに素敵な3泊4日も鋭利な切っ先を向ける。あなたの思い出だったわたし。あなたの恋人だったあの人。恋い焦がれても届かなかったあの幻想。さよなら。

楽しさが過ぎて空虚な夜が来る。わたしはまだ夜に耐えられない。まっくろ、混沌、無罪の夜。夜は絶対に幸せになれない。夜は絶対に幸せになれない。


この日記を書き始めてから3度目の春が来ました。2年前はぼーっとしてて、1年前は幸せの享受を怖がってた。今年は、幸せなはずなのに、鬱の枷が邪魔臭くて、幸せになってはいけない気がしています。いつかの日を思い浮かべては絶望して、いなくなったことを自分の罪だと思っています。抗えない荒波が、逃げられない黒雲が、この世界には多すぎる。そんな感じです。ぐちゃぐちゃ書いているうちはそれを忘れてられるから、ほとんど無意識の文字です。幸せなときだけがずっと続けばいいってそれだけなのに、それすら叶わないおかしな重力の青い星。
大好きなひとはいつも落とし物のように素敵なお知らせをくれる。まるで雲からおちる飴だね。絶対拾ってやるんだと奮起するけれど、わたしはどんくさいから、どうだろう。頑張って得を積みます。ふわふわした気持ちのまま力任せにiPadのカバーを取り付けていたら手を痛めた。どこか壊していないか不安。
言葉にならない不幸せを、無理矢理言葉にして、そうやって愚かに逃げる人が好きだ。わたしは子供が嫌いだから、綺麗には生きれない。
みんな幸せになってね。

ぜんぶわたしのためだよ。

誰も見てない、誰も何の感情も持たない文章を書くのってなんの意味があるのだろう。
ぼくはアウトプットとか言ってみるけど、正直見てもらえる言葉が書きたいし、自分のちからで誰かを救いたい。
でもどこか自分のために使っていた言葉が、いつのまにか誰かを好きになるために使われていた。友達にプレゼントをもらったからお返しをする、そういうのをこの年になってやっとできて、ずっと友達でありたいなぁって思ってる。


謎肉ってすごいいい名前だと思いません?語感、雰囲気、字面、もう何も説明しないという潔さ。味は嫌いですけど。


三年前のぼくの方が今のぼくより、色んなことに対して猶予があるってこと、ぼくはたぶん一生許せない。だからぼくは自分を嫌いになるよ。かみさまがつくった世界の理不尽を考えなくてすむように、自分の小ささ、醜さで頭を満たそう。


お風呂に入ってすぐと、上がる直前のその数分で、もう言葉なんてどっかに逃げていってしまいます。言葉には流動性がある。何の話?記憶喪失みたいな備忘録。


友達と上手におしゃべりもできないし
歩くのも走るのも書くのも遅いし
ぜんぜん勉強もできなかったけど
あの修学旅行の最後の朝に、
心のどこかで帰りたくないって願ってたこどもたちが、
苦しいことを考える時間が1秒でも少なくなりますように。


そのむかしぼくの言葉を読んでいた人たち、今はぼくのこと嫌いになったかな。どうでもよくなったかな。
あんなに大人も学校も社会も恨んで妬んで憎んでいたあの子たち、いつか幸せになってさ、幸福な結婚なんてしたりするのだろうか。そうして他人の不幸に疎くなって、しあわせなホットケーキの絵本なんか読み聞かせたりなんかして。ねぇ、あの日あんなに全てを嫌っていた"女の子たち"は、もうどこにもいない。

幸福な人間は創作ができない。(個人の意見です。)

幸せな人間は創作物がつくれない。と思う。少なくともわたしはそう。幸せだ~満足だ~って、享受するのに忙しくて別に俺が作らんでもええんちゃうかなとか思うじゃないの。
自分を不幸せと思ってるときが一番勿体ないと今さら気付きました。わたしは今こんな目にあって不幸ですから最悪です。そういうことのために延々ぐちぐち言うのは、勿体ないけど必要経費なのだと思う。愚痴垢はなくならないし、世の中の精神疾患は増えるばかりで、もういっそ病院がなければなにも気付かずに死んでいくのにね。わたしはおよそ凡庸な精神状態ではなかったけれども、気付かなければ何の処置もとらなくていいのでなにもしませんでした。知らぬが花。桜が散ってムスカリが咲いていたとき、それももうすぐ散るからわたしは写真を撮ったよ。フィルム加工むずかしかった。でもお気に入りの写真。
長時間のライブ放送が好きな質だと分かって、たしかに。と感じています。その昔まだ記憶も朧気なころ、何かしらの長時間番組を見ていて、そこで屋台みたいに色んなお店の人がご飯を作って、芸能人の人たちが食事をする時間があったんですよ。それがすごい心に残ってて、面白かったとかおいしそうとかは全然覚えてないけど、人が今そこでごはんを食べていて、そして生きているっていうのが楽しかったんだと思う。推しが毎日生配信する世界線一生愛したし、わたしは大人になって、みんなと同じ時間に一緒に見れるっていうのがまたうれしい。そうして今しあわせで、でもふとしたことでちょっと傷ついて、それがきっかけで色々いやになったりもするけれど。
あなたのことを好きになりたかった、という人がたくさんいる。
もう会えない人とまた会いたい。そして嫌いにならずに、大したことなかったって思い直したい。

春めっちゃいい(あったかいので)

いつのまにか春になって、桜が咲きまくっている。知らない間に季節が過ぎ去っていくので、焦燥感は絶えない。いい天気ですね。あったかいっていいなー。
人生におけるクッソ暗いトンネルをちょっと抜けたかもしれない。またすぐ絶望のどん底みたいなアホほどの地獄が待ってるかもしれないと恐怖するけれども、なんだかあったかいのでわりと朗らかに生きられている。一日のほとんどの時間、学校のことばっかり考えて過ごしていたぼくはちょっと呆気に取られる。こんなもんだった?生きていくってこんな感じだった?と確認したいような、むず痒い感じの。一年前の日記は酷かった。相変わらず情緒はぶっ壊れてるから突然泣き始めるし突然笑い始めるけれど、これまでになく安定している。かも。4歳か5歳かそこらのぼくが、死ぬのが怖いと泣いていたのを思い出す。まっくらになるのが怖かった。家族で仲良く出掛けたりとか、そういうのをずっとしていたかった。お兄ちゃんとUNOとか永遠にやってたかったし、ぼくは一人でもUNOをやってた。反芻するかのように。小学生になって学校でクラスの人とやったらぼくの知らないルールを適用されて、ぼくは錯乱しながら訴えたけど取り合ってもらえなかった。そうやってずっとちょっとずつズレてた。ズレは直せないと思って死ぬしかないと思ってた。
あれから数年経ったけど、人と話すのは苦手だけど、何を喋れば喜んでもらえるか分からなくてずっと言葉が出ないけど、わたしはわたしを褒めていられる。
頓珍漢なおまじないをしなくても、ぼくは案外やっていけるのかもしれない。
備忘録。